最終更新日:2014/ 5/27(火) 00:08:48
著書『近代日本の外交論壇と外交史学』
最新情報
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正誤表・補足情報
誤 | 正 | ||
---|---|---|---|
178頁・後ろから3行目 | 一九〇〇一 | 一九〇一 | |
45頁・最終行 | (87)…なっている。 | 〔削除〕★ | 2011年5月8日追記 |
23頁・13行目 | 二八二編 | 二八一編★2 | 2014年5月27日追記 |
24頁・13行目 | 牧野英一(五九編) | 牧野英一(六〇編)★2 | 2014年5月27日追記 |
★ 国会図書館の蔵本(マイクロフィッシュ版)の表紙では、第1巻3号の発行日は「11日」となつてゐますが、愛媛大学中央図書館の蔵本(増刷と推定)では「10日」に修正されてゐます。さらに両蔵本とも、奥付の発行日は「10日」であることから、1巻3号の発行日は10日が正しく、国会図書館本の表紙は誤植と判断しました。
★2 第6巻66号の記事「英仏近接に関する現在問題」の著者(牧野英一)を、有賀長雄と誤つてゐたことによるもの。
※ほかにお気づきの点がありましたら、ご一報いただけると幸です。
書誌情報
- 名称:
- 近代日本の外交論壇と外交史学:戦前期の『外交時報』と外交史教育
- 種別:
- 著書
- 単著/共著の別:
- 単著
- 発行年月日:
- 2011年3月1日
- 発行所:
- 日本経済評論社
- ISBN:
- 9784818821484
- ページ数:
- 324(xiv+310)ページ
- 価格:
- 4,200円(4,000円+税)
概要
本書は、下記の2つの論文により構成されてゐます。詳細は、それぞれのページにて確認して下さい。
- 第1部(1―173頁) 20世紀前半の日本の外交論壇と『外交時報』
- 第2部(175―278頁) 日本における外交史学の起源
なほ本書の「まへがき」の全文を、下記に転載いたします(漢数字を算用数字に改め、仮名遣を変更するなどの改変を加へてゐます)。
近代の日本社会において、国民のあひだに外交問題や外交史に対する興味関心が急速に高まつたのは、19世紀末のことであつた。もちろん、それまでにも不平等条約の改正交渉の進展(あるいは停滞)や、朝鮮問題などに対して、知識層を中心に一定の関心は存在した。しかし、1894(明治27)年に始つた日清戦争を契機に、それが一気に拡大、増進することになつた。
本書は、明治から昭和戦中期の日本を代表する外交専門誌である『外交時報』の歴史と、同じ時期の大学における外交史教育の実情、さらに明治から大正初期に刊行された外交史関連書籍の内容を探ることを通じて、当時の日本の「外交論壇」と、外交史学界の実相の一端を明かにしようとするものである。
雑誌『外交時報』の創刊は、1898(明治31)年2月のことであつた。当時のわが国を代表する国際法学者であり、外交史学者でもあつた有賀長雄が、ほぼ独力で創刊した、この日本最初の外交問題の専門誌は、やがて日本の外交論壇の中心に位置する雑誌へと成長してゆく。しかし、同誌が時代ごとにいかなる編輯体制をとつたのか、また社会からどのように評価されたのかといつた問題については、これまでほとんど検討されることがなかつた。
そのため、戦前期の『外交時報』については、十分な検証に基かない、悪くいへば「思ひこみ」に近い評価が下されることも少くない。また戦後に復刊した『外交時報』が、戦前のそれとは異質の雑誌になつたことや、戦前の同誌をリアルタイムに講読した経験をもつ人々が少くなつたことなどから、戦後における『外交時報』の性格や特徴を、戦前の同名誌にそのまま投影し類推するといつた誤解も散見される。たとへば「『外交時報』は外務省の広報誌であつた」といつた類の言説がそれである。さらに大正後期以降の『外交時報』は、評論・報道・研究の三つの側面を兼備する雑誌であつたが、創刊の当初は、必ずしもさうではなかつた。かういつた時代ごとの同誌の性格の変遷についても、これまで十分に注意が払はれてきたとはいひがたかつた。
そこで本書の第1部では、当時の『外交時報』の歴史的な変遷を、同誌の発行元である外交時報社の歴代社長(有賀長雄、大庭景秋、上原好雄、半沢玉城、小室誠)を軸に見てゆくことにする。各章は、それぞれの時期の『外交時報』のページ数や価格、記事分類といつた外形的特徴を縷述するほか、執筆陣の顔触れや主な寄稿者の経歴、さらに読者や社会の反応がどうであつたかなどを分析する。また時代ごとに、筆者の目を引いた論文や記事をとりあげ、当時の同誌が、どのような主張を展開してゐたかを瞥見する。さらに章ごとに「小括」を設け、その時々の同誌の特徴について明確にすることにしたい。
つづいて本書の第2部では、日本における外交史学の起源について明かにすることをめざす。
筆者は現在、松山大学法学部において「政治外交史」の講義を担当してゐる。そのこともあつて、日本における外交史教育の起源について、かねてより強い関心を抱いてきた。この点につき、戦前期の日本の大学で、外交史を教授したところは「数校にすぎなかった」といふのが通説であり(川田侃・二宮三郎「日本における国際政治学の発達」『国際政治』第9号、1959年、119―120頁)、筆者も自分で調べるまで、この説を信じてきた。しかし史料に当つてみると、この認識は必ずしも正しくなく、当時、法、政治、経済、商学系統の学部学科を置く大学の大半で、外交史が開かれてゐたことが確認できた。また、日本で最初に外交史の講義が行はれた年につき、川田・二宮論文は1899(明治32)年としてをり、これも通説として流布してきたが、筆者が調査したところ、実際には1889(明治22)年まで遡ることが判明した。そこで第2部の第1章では、これらの事実を大学ごとに明かにし、各校の外交史学の学統が、どのやうに形成されたのかを究明することにした。
さらに、明治から昭和戦中期の外交史関連書籍の出版状況についても、これまでほとんど検討されてこなかつたことに着目し、第2部第2章において、さしあたりその一部分(明治期から大正初期まで)について分析することにした。
これらの作業を通じて判明したことは、外交論壇と外交史学の双方の生成・発展の過程において、有賀長雄の果した役割の大きさである。彼は右に触れた通り、『外交時報』の創刊者であると同時に、わが国における外交史学の創始者でもあつた。早稲田大学における外交史学の学統の確立者であり、さらにその著書『近時外交史』は、日本で最初の外交史の専門書であつた。有賀については、これまで中国との関係で数多くの研究がなされてをり、また社会学者や国際法学者としての活動についても若干の研究が見られる(伊藤隆・季武嘉也編『近現代日本人物史料情報辞典』第1巻、吉川弘文館、2004年、19頁)。しかし外交史学の領域で果した役割については、ほとんど顧みられることがなかつた。本書はこの空白を埋めるうへでも、一定の役割を果しえたのではないかと思ふ。
このやうに本書は、近代日本の外交論壇と外交史学に関して、これまで未解明の事実のうち、いくつかを詳かにしえたと考へるが、一方で、十分に究明できなかつた点も、数多く残されてゐる。
まづ『外交時報』に関していへば、本書が分析できたのは、おもに同誌の「外形的特徴」とでもいふべき部分であつて、その「内面的特質」、具体的には時代ごとの論調の特質や変遷などは、ほとんど見ることができなかつた。創刊から1945(昭和20)年の休刊までの47年間に、同誌に掲載された論稿の数は3万4千を数へるが、いまのところ、筆者自身もそれらを十分に精読し解析するには至つてゐない。さらにその時々の『外交時報』の論調を、当時の外交論壇のなかでどのやうに位置づけるべきか、他誌との比較によつて明かにすることもできなかつた。これらについては今後、筆者自身の手で時間をかけて分析してゆきたいと考へてゐる。
また、本書の第2部第2章で取り上げることができたのは、第一次世界大戦より前の刊行物のみであつて、大正中期以降に出版された書籍については、まつたく触れることができなかつた。しかし、近代日本の外交史学が本格的な発展を見せるのは、むしろこの大正中期以降のことであり、この時期に刊行された信夫淳平、芦田均、田保橋潔、植田捷雄、清沢洌などによる数々の優れた著作を分析の俎上に載せられなかつたのは、「羊頭狗肉」と譏られても致し方のないところである。これらについても「今後の課題」といふことで、お許しいただければ幸である。
加へて、もう一つお赦しいただきたいのは、本書の表記法についてである。筆者は戦後の「国語改革」と、そこで導入された「現代仮名遣い」などの新表記法に批判的であり、日常生活でも、なるべく歴史的仮名遣を用ゐることにしてゐる。しかし本書については熟慮のすゑ、原則として「現代仮名遣い」と「新字体」に拠ることにし、それに合せて原稿をすべて書き改めた。一方で、一部の表記については、あへて旧表記のままにしてある(蹈襲、明か、陞任など)。また常用漢字表の音訓にも囚はれず、「詳か」「遺す」「晩い」などの言ひ回しも多用してゐる。さらに異る表記(「助ける」と「援ける」、「すべて」と「総て」など)を意図的に混在させた箇所もある。新表記法に親しい多くの読者にとり、読み難いくだりも少くないと思はれるが、ご寛恕いただきたい。
本書第1部は、『松山大学論集』に連載した論稿「20世紀前半の日本の外交論壇と『外交時報』(1)―(6)」(第20巻1号―第21巻2号、2008―2009年)を手直ししたものである。原稿執筆のさいに、また『松山大学論集』掲載後に、多くの方々から、当時の『外交時報』や外交時報社に関する情報の提供と、内容面での御教示をいただいた。本書に再録するにあたり、誤りは可能なかぎり正し、また新たに入手した情報を反映するように努めたが、なほ誤りがあるとすれば、それは言ふまでもなく筆者自身の責に帰するものである。お世話になつた方々すべてのお名前を、ここで挙げることはできないが、この場を借りて感謝の意を表すことにしたい。
第2部は、本書のための書下しである。執筆の過程で、早稲田、学習院、中央、明治、法政、愛知、東北、九州、同志社、日本、拓殖、関西、専修、神戸、大阪市立、立命館、関西学院の各大学の、大学史編纂部門の方々には、本来の業務で多忙ななか、資料調査などでご協力を戴いた。記して感謝したい。
松山大学からは、本書を「松山大学研究叢書」として刊行する許可と、出版助成金の交付を受けた。また日本経済評論社には、本書の編輯と出版を、快くお引受けいただいた。とくに編輯者の吉田真也さんには、本書の構成から内容にいたるまで、的確な時機に有益なご助言をいただいた。さらに筆者からのさまざまな要望にも、誠意をもつて積極的にお応へいただいた。あらためて感謝したい。
最後に本書を、昨年8月に91歳で逝去した祖母、中村有里の墓前に捧げたい。若くして満洲国に渡り、戦中戦後の激動を生き抜いた彼女の想ひ出話から、筆者は歴史や人物に対する見方の一通りでないこと、また苦難を乗り越える庶民の逞しさを学んだ。彼女に本書を手渡せなかつたことが、唯一の心残りである。
書評・紹介
- 『国際法外交雑誌』第110巻3号、2011年11月、177―181頁(酒井哲哉先生による書評)。
- 『日本歴史』第768号、2012年5月、123―125頁(熊本史雄先生による書評)。
入手・閲覧方法
購入方法
本書(ISBN 9784818821484)は、大学生協や一般の書店、オンライン書店・古書店などで購入できます。
閲覧方法
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索引データ
本書の末尾に添付された「事項索引・人名索引」のPDFデータを公開します。自由にご利用いただいて構ひませんが、他所への転載や再配布はご遠慮下さい(著作権は抛棄しません。リンクについては「リンクポリシー」に従つて下さい)
全文データ
本書の著作権は私にありますが、出版権は日本経済評論社に設定されてゐます(2011年3月現在)。したがつて、全文データをこちらで公開することは困難です。将来的に(本書が入手困難になるなどして)全文を公開する可能性はありますが、(有償・無償を含め)いまのところ具体的な検討は行つてをりません。