最終更新日:2013/ 9/18(水) 10:55:04
学会報告「世紀転換期における有賀長雄の対外認識」
基本情報
- 報告題目:
- 世紀転換期における有賀長雄の対外認識
- 報告学会名:
- 日本政治学会 2013年度研究大会
分科会「20世紀の幕開けと日本人の国際情勢認識」報告
- 報告日時:
- 2013年9月16日
- 会場:
- 北海学園大学
- 単独/共同の別:
- 単独
報告の概要
有賀長雄は、明治期の日本を代表する国際法学者のひとりであり、日本における外交史学の始祖とされる人物である。1860(萬延元)年に大阪に生れ、のちに早稲田大学学長となる高田早苗や天野為之とともに、東京大学に学んだ。卒業後は国際法や外交史のみならず、社会学や国家学、国法学なども研究し、それぞれの領域において先駆的な業績を残してゐる。その一方、官僚としても、伊藤博文の総理秘書官や、農商務省特許局長などを歴任した。さらに教育者としては、東京専門学校(のち早稲田大学)を中心に、東京帝国大学、慶応義塾、学習院、陸軍大学校など多くの学校の教壇に立ち、学生の教育に尽力してゐる。とくに陸軍大学校では多数の将校に戦時国際法の知識を教授し、その成果は日露戦争などで表れてゐる。
有賀については、これまで辛亥革命後の中華民国との関係、とりわけ同国の憲法制定作業とのかかはりについて分析されることが多かつた。しかし本報告では、有賀が、日本最初の外交専門誌『外交時報』の編輯者兼主筆として、また当時の日本を代表する国際法学者・外交史学者として、世紀の転換期にどのやうな対外認識を抱き、これを読者に示したかを明かにしようとするものである。
『外交時報』といへば、1920年代に半沢玉城が編輯人となつて以降、その影響力において「外交論壇の中心」ともいふべき存在となつたことで知られる。しかし1898(明治31)年に創刊されてから数年のあひだは、有賀の個人雑誌、あるいは立作太郎や戸水寛人、中村進午など、彼とその研究仲間による同人雑誌としての性格が色濃かつた。しかしそれだけに、そこには有賀の対外認識がより明確に表れている。本報告では、同誌の創刊から数年間に焦点を合せ、そこに詳密な分析を加へることで、19世紀末から日露戦争にかけての有賀の対外認識を解明することにする。
※上記は「報告要旨」として、事前に学会のプログラムに掲載されたものです(一部変更しました)。
※「報告論文」は未定稿ですので、直接引用はご遠慮下さい。
補足情報
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